福岡の東濃く腹

50を過ぎて非豚骨が増えたなぁ〜

『きりゅう軒』古賀市

福岡県古賀市、私の地元であり結婚した現在も家族で住んでいる。
41年の人生で学生の2年間を大分市内で、更に就職してからの9年間を大分県中津市で過ごした。

それ以外、この古賀市を生活の主体として30年間を過ごして来たが、私が人生で初めて食べたラーメンも当然地元だった。


イメージ 1


古賀市役所から495号線に向かい、JRの踏切を渡って少し歩くと写真の廃店舗が見えてくる。



イメージ 2


『きりゅう軒』


私が子供の頃、この通りを含めて国鉄古賀駅周辺の商店街は、駅の利用の有無に関わらず行き交う町民の活気に溢れていた。
ご両親が自営の同級生も多く、この店も近所の工務店の長男坊から教えて貰った。


10歳だった、大した小遣いもなかった時代である。
商売人の子供は、私の何倍もの小遣いを貰っていた。
そんな頃、4年生の男児3人で食べに出掛けたのだ。
以外だったのは、大将が驚いた様子を見せなかった。


31年前、私の記憶ではラーメン1杯4百円だった。
5百円札が流通していて、釣銭を貰った覚えがある。
自分で支払った、初めての外食はココのラーメンだ。
子供心に旨かった思い出があるが、正直自信はない。


私は、このラーメンで大人の仲間入りした気がした。
1人前を食べて、自分の小遣いから支払った1杯だ。
それから高校時代まで、時々通っていたラーメン屋。
地元を離れた頃、大将が体調を崩して店を畳んだ…。


当時はかなりの人気で、オッサンのたまり場だった。
柄の悪さと下品な振る舞いは、ココで学んだ賜物だ。
行き付けの散髪屋によれば、最期は酷かったらしい。
カウンターのゴキブリは、従業員よりも出現した(笑)


駐車場のない条件の悪さと、大店法によって地元にはサンリブと言うスーパーが建てられ、駅前商店街では加速度的に廃業していった。
時代の流れだし、車社会の福岡では仕方のない現実だが、生き残りを賭けた自営の親御さん達は、軒並み廃業しているのが実態である。


因みに、初めて食べたラーメン屋のラーメンは、33年前に西鉄古賀駅のそばにあった『赤のれん』だが、現在は店舗だった建物も建て替えられている。
父親が支払ってくれたし、当時は出前で頼んだので味の記憶など全くない(笑)



↓パソコンの調子が悪くて、なかなか更新できない日々ですがポチポチ宜しく~♪
https://gourmet.blogmura.com/ramen/img/ramen88_31.gif
にほんブログ村 グルメブログ ラーメンへ(文字をクリック)