それ以外、この古賀市を生活の主体として30年間を過ごして来たが、私が人生で初めて食べたラーメンも当然地元だった。
古賀市役所から495号線に向かい、JRの踏切を渡って少し歩くと写真の廃店舗が見えてくる。
『きりゅう軒』
31年前、私の記憶ではラーメン1杯4百円だった。
5百円札が流通していて、釣銭を貰った覚えがある。
自分で支払った、初めての外食はココのラーメンだ。
子供心に旨かった思い出があるが、正直自信はない。
5百円札が流通していて、釣銭を貰った覚えがある。
自分で支払った、初めての外食はココのラーメンだ。
子供心に旨かった思い出があるが、正直自信はない。
私は、このラーメンで大人の仲間入りした気がした。
1人前を食べて、自分の小遣いから支払った1杯だ。
それから高校時代まで、時々通っていたラーメン屋。
地元を離れた頃、大将が体調を崩して店を畳んだ…。
1人前を食べて、自分の小遣いから支払った1杯だ。
それから高校時代まで、時々通っていたラーメン屋。
地元を離れた頃、大将が体調を崩して店を畳んだ…。
当時はかなりの人気で、オッサンのたまり場だった。
柄の悪さと下品な振る舞いは、ココで学んだ賜物だ。
行き付けの散髪屋によれば、最期は酷かったらしい。
カウンターのゴキブリは、従業員よりも出現した(笑)
柄の悪さと下品な振る舞いは、ココで学んだ賜物だ。
行き付けの散髪屋によれば、最期は酷かったらしい。
カウンターのゴキブリは、従業員よりも出現した(笑)
駐車場のない条件の悪さと、大店法によって地元にはサンリブと言うスーパーが建てられ、駅前商店街では加速度的に廃業していった。
時代の流れだし、車社会の福岡では仕方のない現実だが、生き残りを賭けた自営の親御さん達は、軒並み廃業しているのが実態である。
時代の流れだし、車社会の福岡では仕方のない現実だが、生き残りを賭けた自営の親御さん達は、軒並み廃業しているのが実態である。
因みに、初めて食べたラーメン屋のラーメンは、33年前に西鉄古賀駅のそばにあった『赤のれん』だが、現在は店舗だった建物も建て替えられている。
父親が支払ってくれたし、当時は出前で頼んだので味の記憶など全くない(笑)
父親が支払ってくれたし、当時は出前で頼んだので味の記憶など全くない(笑)