大正2年、故・児玉恒次郎氏が創設した赤穂四十七士の墓。
「義士銘々伝」を桃中軒雲右衛門の語りで全国に広めた功績から、東京高輪の泉岳寺から特別許可を受け、寺号と47人の義士の墓砂を分霊として持ち帰った。
→新泉岳寺の名称由来
旧・津屋崎町では、討ち入りの12月14日に「義士祭」として法要を重ねてきた。
2年ほど途絶えていたらしいが、有志の会が立ち上がって今年めでたく復活を迎えた。
直接の縁はないが、元々は観光開発に熱心だった故人の功績が、分霊まで発展したとは驚きである。
津屋崎祇園祭りの時にも感じた事だが、この地域の人たちは今時珍しく結束が固く、しかも熱血漢だ。
2年ほど途絶えていたらしいが、有志の会が立ち上がって今年めでたく復活を迎えた。
津屋崎祇園祭りの時にも感じた事だが、この地域の人たちは今時珍しく結束が固く、しかも熱血漢だ。
私も気分だけ盛り上げようと、昼休みに『宝来軒』でラーメン大を頼んだ。
ラーメン大 600円
赤穂浪士に準えるなら、勇ましさと優しさが入り混じったとでも言おうか?
一見荒っぽい感じだが、すすると芳醇でいつもながらの旨味が広がって…
義士たちの逞しさと、熱い想いがほとばしって来るような錯覚すら感じた。
一見荒っぽい感じだが、すすると芳醇でいつもながらの旨味が広がって…
義士たちの逞しさと、熱い想いがほとばしって来るような錯覚すら感じた。
カタで茹でられた麺は、義士たちの一本筋の通った一途さにも似ている。
薄い炒豚には、寒空の下、吉良邸に押し入った彼らの儚さにも通じる。
薄い炒豚には、寒空の下、吉良邸に押し入った彼らの儚さにも通じる。
最後の一太刀である、納屋に隠れていた吉良を見つけ出した彼らに…
胡椒を一振り、気合を入れてきっちりと“討ち入り”を果たして頂いたっ!!
胡椒を一振り、気合を入れてきっちりと“討ち入り”を果たして頂いたっ!!
新泉岳寺正面
忠魂碑
とりあえず場所だけでも確認したくて、津屋崎方面から戻る際に訪問してみた。
残念ながら“義士祭”は15時まで、見物客には蕎麦なども振舞われたらしい。
寺の場所だけ確認したが、地元の方が露天で飲みながら祭の余韻に浸っていた。
残念ながら“義士祭”は15時まで、見物客には蕎麦なども振舞われたらしい。
寺の場所だけ確認したが、地元の方が露天で飲みながら祭の余韻に浸っていた。
私の愛車は、これからどのような“武勇伝”を産み出していくのであろうか…?
尚、おむすびのガラスケースに貼られていた年末年始の営業予定、参考までに。