過去ログで、脳梗塞を患われてリハビリを頑張られたお陰で、どうにか厨房での作業に復帰できたと言う話を紹介した。
営業時間の制約や提供できるメニューが限られた中で、奥様と二人三脚でこれまでラーメン屋を続けて来られた。
営業時間の制約や提供できるメニューが限られた中で、奥様と二人三脚でこれまでラーメン屋を続けて来られた。
周りの方や身内の手助けもあったが、奥様に掛かる負担が予想以上に大きかった事は否めず、年度末を堺に手助けしてくれていた方と身内の方に、店を譲渡された事を知らされた。
4日ほど前、ゲストブックで大将の親戚の方から直接連絡があり、大将夫妻がそのような判断に至ったと書かれていたが、お店の営業時間が11時~15時と短いこともあり、どうなっているのか確認する事ができなかった。
店近くまで来て気付いた。

シャッターが降りている…?
そ~言えば、私は定休日を知らないままでしたが、今までたまたま定休日に当たらずに入店していたらしく、1ヶ月ぶりの訪麺は果たす事ができなかった。
修繕された「ま」の字を近影して、仕方なく宗像から古賀市の訪問先まで車を走らせた。
修繕された「ま」の字を近影して、仕方なく宗像から古賀市の訪問先まで車を走らせた。

個人的な思い入れで、店の存在を知ってからの僅か半年間であったが、勝手に書庫を作って勝手に宣伝させて頂いた。
何名かのブロ友さんは、実際に出向いて私の想いを少なからずご理解頂けた。
後継者とおぼしきお兄ちゃんは、2~3回麺の湯切りを見たうえで実食して確認したので、スープをきちんと継承できていれば遜色はないと思う。
当り前に目にしていた女将さんの笑顔、動けなくても自分の出来ることを精一杯果たしていた大将、そんな夫妻の姿がレギュラーで見れなくなるかも知れない…。
今週は日曜まで休みがない、もどかしくて心乱されるとはこんな精神状態を云うのか?

これはエイプリルフールの出来事だが、残念ながら冗談などではない様子だった…。
無理してでも再訪して、新たな『さつま』の姿を確認しなければならない。