福岡の東濃く腹

50を過ぎて非豚骨が増えたなぁ〜

『玄黄』宮若市スーパー脇

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既に無くなって3年近くなるが、当時の若宮町(現:宮若市)役場の通りを飯塚方面に向かい、スーパーマルシンの一画に店舗を構えていたラーメン屋。

TVの取材も多かったし、宮田町で行列の出来るラーメン屋としても有名で、ご存じのラーメン愛好家も多いハズである。
自家製麺にこだわり、200食前後の麺を打って3日ほど熟成のために寝かせる。
豪産の小麦に、かんすいと卵を練り込み仕上げられた中細麺は、脂っこさを抑えながらもコク深い豚骨醤油ともよく絡む。

確かにそれもそのはずで、限定30食の玄黄流凛麺(つけ麺)はかなりの人気だったが、つけ麺はまさに絡みが勝負のメニューだから、当然と言えば当然である(笑)
麺が無くなれば閉店で、麺の固さも大将が客を観察しながら決めていて、17時には売り切れる銘店で食べたくなると古賀から峠を越えて、何度リピーターとして行列に並んだ事だろう?


旨かったのになぁ…
何で辞めちゃったんだろう?、本当に残念でならない銘店のご紹介でした。
だが、店を畳む少し前にそれまでとは違う点をいくつか気付いた。

①お客からの再三の要望にも関わらず、スープが薄くなるので大将が拒んでいた替玉が、いつの間にかメニューに載っていた。

②仕込みは大将だが、店ではスタッフにスープの管理を任せていてしょっぱくて、麺の湯切りも大将よりは甘く水っぽさを感じた。

③他店と言うか、屋号的には暖簾(のれん)分けだと思われる麺劇場『玄瑛(げんえい)』の名刺が、レジの横に普通に置かれていた…



『玄瑛』はご存知の方も多いと思うが、エビをダシに使ったスープが芸術的な絶品で、地元マスコミのみならず「どっちの料理ショ~」でも紹介された店。


元々の屋号:『玄黄』
大将の名前:入江 瑛起

やっぱり…宮若市みたいな田舎じゃなく、もっと中央で実力を試したかったのだろうか?
記念すべき80件目のラーメンで、今は無き『玄黄』をどうしても紹介したくてアップしたのだが、基本の本当の旨さが伝わったか否かは微妙である…